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兵馬俑は本物の実在人物を元に作られた?兵馬俑に頭がないのはなぜ?

中国の歴史や文化に興味がある人であれば、「兵馬俑」を一度は聞いたことはありますよね。

兵馬俑は世紀の大発見と称されており、中国国内のみならず、海外でも名声がとても高いです。

そんな有名な兵馬俑ですが発見からまだ半世紀も経っていないため、未発掘の兵馬俑がまだいっぱいあり、謎に包まれていることが多いのです。

今回は「兵馬俑は本物の実在人物を元に作られた?兵馬俑に頭がないのはなぜ?」の謎に迫ります。

兵馬俑の基本情報

兵馬俑とは

兵馬俑は中国の古代皇帝である秦の始皇帝(紀元前259〜紀元前210)のお墓の一部で、兵士、戦車や馬など数千体以上の像が陳列しています。

兵馬俑が発見された場所は「兵馬俑坑(こう)」で、秦の始皇帝のお墓・「秦始皇帝陵」の付近にあり、秦始皇帝陵及び兵馬俑坑は1987年にユネスコの世界遺産に登録されています。

ちなみに「陵」とは天子、皇后、皇帝など身分が高い人のお墓の意味です。

兵馬俑坑には100体の戦車、600体の陶馬、8000体の成人男性と同じ大きさの武士俑が発見され、全ての東を向いています。

「兵馬俑」と呼ばれている理由は「兵」は兵士、「馬」は動物の馬、そして「俑」は武士俑を指すことから来ています。

この兵馬俑の軍隊を完成させるのに何年かかったと思いますか?

兵馬俑を完成するまでに約40年かかりました

秦の始皇帝が10代の頃から作りはじめ、39年かけてやっと作り終わりました。

兵馬俑はなぜ作られたか

こんな大規模で時間がかかる兵馬俑はなぜ作られたか、すごく気になりますよね。

理由は秦の始皇帝を死後の世界でも保護し、お世話する為です。

古代中国では主君の死を追ってあの世でも仕える為に手下が死ぬこと(殉死)は普通でしたが、秦の時代から殉死は廃止され、人の形をした木俑や陶俑で代用するようになりました。

秦の始皇帝は生きている間に凄まじい権力と財力を持ち、死後の世界でも同じような皇帝の高い地位と軍事力が欲しかったのです。

兵馬俑の発見者は地元農民!?

今から約2200年以上も前の紀元前200年頃に建設されたのに、発見されたのが1974年ってすごい月日が経っていますよね。

実は1974年3月頃に、地元農民が井戸を掘り始めたら、陶器の破片が土の数メートルの深さで見つかったんです。地元農民の偶然の発見により、数千年もの間眠っていた兵馬俑が世間に知られることになります。

この地元農民はすぐさま人気者になり、様々なテレビインタビューなどで取材を受け、サインを頂くことも兵馬俑に行く際の醍醐味になりました。

兵馬俑の発見者である地元農民にまつわるエピソードとサインはゲットできるのかについては以下の記事でわかりますよ。

兵馬俑は本物の実在人物を元に作られたのか

結論から言うと、兵馬俑は当時の兵士をモデルに作られました

兵馬俑の像の顔をちゃんと見ると、一体一体顔が違うことがわかります。

元々兵馬俑には鮮やかな色が塗装されていて、外見の違いがもっとわかりやすかったのですが、長年の湿気と浸食により現在のように色のない兵馬俑になりました。

兵馬俑の高さは平均的180cmくらいで、実際の人物をモデルにしたことがわかります。

ですが、実は秦時代の男性は本当に180cmもあったかというと、そうではありません。

実は、兵馬俑の靴は厚底で10cmくらい入っていて、お墓まで来た敵軍を怖がらせる為に、わざと大きくしたと思われます。ちなみに、重さは一体200キロ近くありますよ。

頭がない兵馬俑がある理由

兵馬俑の写真を見ていると、頭がない兵士や武士俑があるのがわかりますよね。

兵馬俑は本当に実在した兵士をモデルにして作られたので、「首を切られた兵士をモデルにしてるから、兵馬俑の像にも首がないの?」と疑問に思う方多いと思います。

結論から言うと、首がない兵馬俑は長い月日によって粉々に壊れ、修復不可能だからです。

兵馬俑の作り方は、頭と胴体別々で作り、のちに合体させたので、分解されやすいため結構の数の兵馬俑は首から上がないです。

余談ではありますが、当時兵馬俑を作っていた職人は、満足できる像を作れなかった場合、クビになり、ころされる場合があったそうです。

まとめ

「兵馬俑は本物の実在人物を元に作られた?兵馬俑に頭がないのはなぜ?」をまとめました。

改めて、中国の歴史って本当に面白いですよね。

最後までありがとうございました。

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